◇馬賢達老師について
≫1985年日本武道館での演武の時の動画はこちらから (注)1985年、日本武道館開館20周年記念のイベントで「日中武道親善交流演武大会」が挙行されるので、馬賢達老師は副団長として多くの中国武術家たちを束ねて来日され、叔父・馬英図の弟子である何福生と八極対接を表演し、日本の観衆に中国武術の真髄を披露した。
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馬賢達老師
1932年生まれ。祖籍は「武術の郷」と呼ばれている河北省滄州地区孟村。
父親は近年滄州出身の著名武術家である馬鳳図、叔父は南京中央国術館NO1武術家であった馬英図。 現在中国武術界最高位の重鎮であり達人。
幼少の頃より父親の馬鳳図のもとで武術を修行し、劈掛拳、八極拳、翻子拳、戳脚などの拳法や長短の兵器にも精通されている。
1952年、天津で開催された全国規模の散打大会(フルコンタクトで打ち合う試合)で弱冠19歳の大学生の身で参加し、並み居る名人、達人をことごとくKOし優勝を果たされた。この時の試合情況があまりにも激烈かつ過酷なものであり、多くの負傷者が出たため、以後この種の形式の実戦に近い試合は中止された。さらに1953年には全国短兵格闘試合(日本の国体に相当)でも優勝し不敗の記録を樹立され、全国に勇名を馳せた。 また、その強さにより無敗を誇り、『国手』として中国国内の武術家を代表して、外国人強豪ボクサーやムエタイ選手とも試合し勝利した。また「快手馬」と称された馬老師の猛烈な突きはあのプロボクシング元世界ヘビー級チャンピオン・モハメドアリ氏をも驚嘆させたなど多く、その強さは伝説的とまでいわれた武術家。
馬賢達老師のその武勇によって、「武術の郷」である滄州から出た武林の英雄といわれ、1985年1月に河北省滄州地区孟村において、「八極拳研究会」が設立された際に、呉鐘の末商であり会長の呉連枝氏を初めとする多くの八極拳家からの養成により、同会の名誉会長に就任する。
当会の代表師範の小林師範は1988年の訪中の時から弟子入りし、1998年に馬賢達老師から外国人で初の師範の資格を授けられる。馬賢達老師は中国武術界の重鎮であられる立場であっても、型を演武して武術性を省いた現代の表演競技制武術を否定し、日本で門下生とともに中国武術の本来あるべき姿を体現するように小林師範に大いなる期待を寄せている。
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